愚鈍なプログラマーの独り言
hogi hoge fuga

愚鈍人のブログ - 20100613のエントリ


加地 伸行さんの、「孔子、 時を越えて新しく」という本を読んだ。

 

たいがい、こういったたぐいの本というのは、主人公の孔子のいいところだけをもちあげて書かれていることが多いものだが、 この本は、孔子のいいところもわるいところも、かたよりなくとりあげて書かれている感じがして好感がもてる。

 

孔子は詩書礼楽の教えを説いたというが、 この礼楽って何の事だろうと思っていたら、どうやら冠婚葬祭などの祭礼のしきたりや、その際に演奏される音楽などの事らしい。

儒教の儒とは、もともとは葬式をおこなう際の葬儀担当者,祈祷師たちや、その葬儀のやり方についてのならわしを指していたらしい。

孔子は、この儒を発展させて学問として体系づけた人らしい。

 

孔子というのは、いわゆる儒教の大聖人で、完全無欠で悟りを開いた人であるかのように思われがちだが、 実際には自己顕示欲と出世欲の塊のような人で、なかなか当時の権力者から認められず、苦悩の日々を送っていたようだ。

周で老先生(あの仙人になったという道家の老子とされる説もあるが、年老いた先生という事らしい)について周の礼を学んだが、自信過剰の野心家で その事を、老先生にたしなめられたとの事である。

自分の学問を実践に生かそうと、就職活動に全国を放浪したが、なかなか採用してもらえずに、政治家としては挫折の連続であったらしい。

マックス・ウェーバーという偉い先生に言わせれば、論語というのは、まるでインディアンの酋長のはなしのようであるとの事である。

西洋的合理主義からみると、古代中国の大聖人もかたなしらしい。

 

こういった事が、私には孔子に対してかえって近親感がわいてくる。

近寄りがたい大聖人というよりも、好感が持てる気がする。

 

 

かの野坂昭如先生も言っていたではないか。 「そ、そ、ソクラテスかプラトンか、みんな悩んで大きくなった!」

 

 

 

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