愚鈍人のブログ - 歴史に想いをはせてカテゴリのエントリ
加地 伸行さんの、「孔子、 時を越えて新しく」という本を読んだ。
たいがい、こういったたぐいの本というのは、主人公の孔子のいいところだけをもちあげて書かれていることが多いものだが、 この本は、孔子のいいところもわるいところも、かたよりなくとりあげて書かれている感じがして好感がもてる。
孔子は詩書礼楽の教えを説いたというが、 この礼楽って何の事だろうと思っていたら、どうやら冠婚葬祭などの祭礼のしきたりや、その際に演奏される音楽などの事らしい。
儒教の儒とは、もともとは葬式をおこなう際の葬儀担当者,祈祷師たちや、その葬儀のやり方についてのならわしを指していたらしい。
孔子は、この儒を発展させて学問として体系づけた人らしい。
孔子というのは、いわゆる儒教の大聖人で、完全無欠で悟りを開いた人であるかのように思われがちだが、 実際には自己顕示欲と出世欲の塊のような人で、なかなか当時の権力者から認められず、苦悩の日々を送っていたようだ。
周で老先生(あの仙人になったという道家の老子とされる説もあるが、年老いた先生という事らしい)について周の礼を学んだが、自信過剰の野心家で その事を、老先生にたしなめられたとの事である。
自分の学問を実践に生かそうと、就職活動に全国を放浪したが、なかなか採用してもらえずに、政治家としては挫折の連続であったらしい。
マックス・ウェーバーという偉い先生に言わせれば、論語というのは、まるでインディアンの酋長のはなしのようであるとの事である。
西洋的合理主義からみると、古代中国の大聖人もかたなしらしい。
こういった事が、私には孔子に対してかえって近親感がわいてくる。
近寄りがたい大聖人というよりも、好感が持てる気がする。
かの野坂昭如先生も言っていたではないか。 「そ、そ、ソクラテスかプラトンか、みんな悩んで大きくなった!」
論語本を呼んでいたらこんな教えがあった。
巧言(こうげん)令色鮮(すくな)し仁(じん)
うまい言葉や愛想笑いというのは本当の心がこもっていないものだ、と言う意味らしい。
同じ論語の中に
巧言令色足恭なるは...
というのもある。
巧言は文字から意味がわかるが、令色てどんな意味なのかと思って調べてみた。
人の顔色を伺うの、顔色の事らしい。
色と言えば、般若心経に色即是空と出てくるが、この色とは「形あるもの」という意味らしい。
色即是空の色とこの令色と何かつながっているのかな。
この記事の中の画像はフリー写真素材 Futta.NETを使用させていただきました。
「鮮し」と書いて「すくなし」と読むのもよくわからない。
最近、子供に学ばせるたの論語の本が売れている事が話題になっている。
「論語」が静かな「ブーム」 児童向け書籍珍しいヒット - J-CASTニュース
もっとも、書店に勤めている知人の話によるともう一年前から論語の本がブームになっているとの事である。
私は論語というとあまり良いイメージを持っていない。
というのは、以前にも書いたとおり、私は古代中国の歴史の本が好きなのだが、私の呼んだ本ではあまり儒教は評判が良くない。(代表的なのが、「安能 務」さんの「春秋戦国史」。)
春秋の筆法という言葉があるが、これって史実を自分の望む方向に捻じ曲げて解釈しているという批判もある。
漢の高祖「劉邦」も儒教を嫌っていてよく「腐れ儒者」という言葉が出てくる。
また、始皇帝も儒者を嫌っていて有名な「焚書坑儒」を行っている。
周公旦の時代に帰れと言っているんじゃ、当時の権力者から嫌われてもしょうがないか。
昔は儒教とあの墨攻の平和主義の墨家が人気を競い合っていたらしい。
皮肉な事に劉邦の子孫の武帝が漢の国教にとりあげたおかげでその後メジャーになってしまった。
儒教というと、朱子学のもととなり封建制度を支えた思想で偽善者的なイメージが強い。
とは言え、我が日本国の葉隠れ,武士道の思想の基となった思想であるので悪口もここまでにしておく。
孔子様もあっちこっちに就職活動のために放浪して苦労されたんだし。
という事でブームにおされて私も最近、節操も無く論語の本を読んだりしている。
まあ、読んでみると論語もなかなか悪くは無い。
だいたい漢詩とか漢文の朗読を聴いていると高尚になったような気分になって気持ちがいい。
という事で今日のうんちく。
子曰く、学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや、
朋(とも)あり遠方より来たる、また楽しからずや、
人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや。
論語の第一編である「学而編」に出てくる教えだそうである。
意味としては
勉強して知識を身に付ける事は楽しいことだ。遠くからやって来た友達と学んだ知識について語り合う事は一人で勉強しているよりもさらに楽しい事だ。
有名になろうとして勉強をしているのでは無いので名声があがらないとしても不満に思わない。これが立派な人間というものだ。
という事らしい。
なかなか奥深いクールな言葉だ。
現代にまでも語りつがれた珠玉の言葉として2500年前に既に語られていたわけである。
まさに古代中国恐るべし
もっとも、私のような煩悩の塊のような愚凡人にとってはこの境地に達するのは難しい。
このWebサイトのアクセス数の増減に一喜一憂しているようではまず無理である。
ところで同じ諸子百家の仲間なのに、儒教は儒者とは言うが,道教を道者と呼んだり墨家を墨者と呼んだりしないのは何故だろう?
私は中国の古代の歴史に興味がある。
特に好きな時代は春秋戦国時代である。
大概の人は三国志を一番に挙げる人が多いと思うが 史記などを見ると生々しい人間ドラマや教訓が満ち溢れていて非常に面白い。
かのホリエモンも獄中で史記を愛読していたそうである。
想えば春秋戦国時代は紀元前数百年の時代で、この時代の日本はまだ縄文弥生 の時代で未開の地であったと思う。
卑弥呼の時代や魏志倭人伝などは、三国志の時代であるから、だいたい紀元後300年くらいである。
それをさかのぼる事、何百年も前の時代の記録が中国では詳しく残っているわけで、当時の中国は凄い国であったと思う。
こんな昔に諸子百家が活躍していて、様々な思想家を輩出したわけである。
別の観点で日本と比較すると、日本の戦国時代は1600年くらいであるから中国の戦国時代と比較すると2000年くらいの時代差がある。
日本では幕末に尊皇攘夷という言葉が使われたが、この言葉が生まれたのもこの時代、斉桓,晋文の覇者の時代である。
また、武田信玄の風林火山は孫子の兵法からの引用でもある。
まさに古代中国恐るべしということである。
思いつくまま記憶にまかせて駄文を並べたので史実に多少間違いがあれば許していただきたい。